年齢とともに父と息子の関係がどう変わるのか、わかりやすくまとめられていたものを、ご紹介します。
年齢とともに父と息子の関係がどう変わるのか、わかりやすくまとめられていたものを、ご紹介します。
1.
4歳: パパは何でも知っている。
2.
6歳: パパは何でも知っているわけじゃない。
3.
8歳: パパの時代はちょっとやり方が違った。
4.
14歳: オヤジは古すぎるんだ。
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21歳: ジジイは全く何もわかってねぇ。
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25歳: 父さんもちょっとは知ってて、その年齢じゃ普通かな。
7.
30歳: 父さんの意見も聞くべきだな。
8.
35歳: 何かをする時には、真っ先に父さんの意見を聞かないと。
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50歳: 父だったらこんな時、どうするだろうか。
10.
60歳: 父は本当に博識だった。今ここにいてくれたら、もっと彼から学べたのに。
憧憬、反発、葛藤、感謝…と変わっていく父親との関係性。10代や20代のころが一番難しいようです。
今のあなたにとって父親はどんな存在でしょうか。あまり親密ではないと言う人も、年末年始くらいは顔を突きあせて話をしてみるのも良いかもしれません。
この文章を読んでいるあなたは、自転車を所有しているだろうか。そして、その自転車をいくらで買ったか覚えているだろうか。
かなりの人が1万円から2万円ぐらいの自転車に乗っているはずである。中には1万円以下の自転車に乗っている人もいるはずだ。
だが、ちょっと考えてもらいたい。自転車は何十、何百の部品を組み合わせ、人1人の体重を受け止めて時速20km以上の速度で走れる乗り物だ。それが1万円というのは、何かおかしいとは思わないだろうか。安すぎるとは感じないだろうか。世間一般の常識では、安いものには安いだけの理由が存在するのである。
かつて1980年代のバブル景気の前ぐらいまでは、自転車は日本国内で生産されるものであり、大人の乗る自転車は少なくとも5万円ぐらいはしたものだった。物価を考えると今の10万円以上といったところだろうか。
ところが1990年代に入ると、大手量販店が1万円台、さらには9800円といった価格で自転車の販売を始めた。これら格安自転車は国内の自転車市場を席巻し、日本国内における自転車製造を壊滅状態に追い込みながら普及していった。みんな、安い自転車を喜んで買ったのである。
格安自転車の価格の秘密は中国にあった。1980年半ばに、中国は「自力更生」をスローガンにした閉鎖経済から開放経済体制と舵を切った。外資を積極的に誘致し、国際的に見て格安だった労働力を使ってさまざまな製品を製造し、海外に輸出するようになったのである。
格安自転車は、大手量販店が中国の工場で作らせて販売するようになったのだ。
「安くて役に立つなら、それでいいじゃないか」と思うかも知れない。「品質が同じなら消費者が安い製品に流れるのは道理だ。安い自転車でいいじゃないか」と、考えるかもしれない。
しかし、大きな問題が存在した。中国で製造され、大手量販店が販売する格安自転車は、品質が決して高くはなかったのである。
自転車というのは人体と密着して使用する道具だ。微妙なところまで感じ分けることができる人間の感覚と、切り離すことができない。このため自転車は、数ある機械の中でも比較的簡単な構造をしているにもかかわらず、設計と製造には高性能の材料と微妙なノウハウ、そして高い加工技術が必要である。
これら技術は基本的にノウハウであって、一朝一夕で習得することができるものではない。
しかし、その一方で、部品点数が少ないことから、「一応自転車の形をしていて、一応自転車の機能を持つ製品」ならば、比較的簡単に作ることができる。中国製の格安自転車は、まさにこれに相当した。
その差は、きちんと作られた自転車と乗り比べるとすぐに分かる。例えばママチャリであっても、日本メーカーの製品は安くても3万円台後半ぐらい、通常は5万円ぐらいする(日本メーカーも今ではそのほとんどが設計専門で、主に台湾のメーカーに生産委託しているのだが)。
これらと量販店で販売している1万円以下の格安自転車を乗り比べると、格安自転車には、ペダルが踏んだ力がどこかに逃げていって、きちんと前に進む力となっていないような感覚がある。1つ1つの部品の加工精度の低さ、材質の悪さ、ノウハウを欠いた不適切な設計といったものが積み重なって、「どうも前にすっと進んでくれない感覚」を生み出しているのである。
それだけならともかく、一般論として格安自転車は壊れやすい傾向がある。はなはだしい場合には、走行中にフレームが折れるなどという危険な事故も発生している。「安いんだから、壊れたらまた買えばいいよ」と思う人もいるかもしれないが、怪我をしたら元も子もない。
■それでも格安自転車が売れるワケ
しかし、多くの人が格安自転車を買って使っているということは、「それで十分だ」と感じていることを意味する。
多くの人は格安自転車を、通勤・通学で利用している。朝、駅までの数km、歩くと20~30分を10分以下に縮めるために使っている。駅近くの駐輪場では、自転車はそんなに丁寧に扱われない。すぐに傷が付くし壊れてしまうこともある。場合によっては不心得者が盗んで乗っていってしまうこともある。となれば、多少精度が低くて乗りにくくても、格安の自転車のほうがいいということになる。
だが、そうやって格安自転車を日常的に使い続けることで失われるものもある。
私は日常的に格安自転車を使うことによって失われるものが、3つあると思っている。
まず「自転車は機械であり、整備が必要である」という感覚が失われる。安いのだから、そこらへんに放置していていい、安いのだから手間暇をかけずに放っておいてもいいということになりがちだ。しかし、自転車はタイヤの空気圧やブレーキの効き、チェーンの給油などを日常的に気をつけていないときちんと性能を保つことはできない。
「安いのだからいいや」で、何も整備をせずに乗り続けると、どんどん自転車の性能は低下していく。しかも日々少しずつ低下していくものだから、なかなか性能低下に気が付かない。ブレーキの効きやタイヤの空気圧は安全性に直結する。ある日危ない目にあって、やっと気が付くことになる。これはなによりも危険なことだ。
第2に、そうやって、ただでさえ性能に問題がある自転車の性能が低下した状態を、自転車の標準状態だと思い込んでしまうことで、「自転車ってそんなものだろ」という相場観を形成してしまうということだ。それは、自転車という道具の可能性を見誤るということである。
ツール・ド・フランスのようなプロ選手のレースを見ると、毎日何百kmもの距離を走っている。あれはプロだからできるわけだが、実はごく普通の人もちょっと訓練して、ほんの少し良い自転車に乗れば自転車で30kmぐらい走るのは全然難しくない。それどころか100kmだって夢ではない。
それが「自転車って駅まで数kmを走れればいいし、そんなものだろ」と思いこんでしまうと、自転車という道具を交通システムのなかにきちんと位置付けるのが難しくなる。自転車は燃料不要の非常に効率の高い交通システムだ。それを、既存の交通体系の中にきちんと位置付け、利用しやすい環境を整備するのは、今後の社会にとってとても大切なことだ。
しかし人々が「自転車って、駅で数km走るだけの道具」と思い込んでいたら、自転車の正しい位置付けが難しくなる。
最後に、これは自転車に限ったことではないが、自分の可能性が失われる。人は道具を持った時、人/道具というマン・マシン一体のシステムとなる。良い道具を持つということは、人という存在を拡張することなのだ。
「移動する」という動物にとってもっとも根本的な特徴を、自転車は最小限のメカニズムで劇的に拡張する、それも日常の中で、だ。
「そんな大層なことか」と思われるかも知れない。しかし、道具を使い、人間は今の文明を築いた。多種多様な道具を使うということは、人間の特徴である。日常の中で良い道具を使うことはとても大切なことなのだ。特に、自転車のような身体に密着した道具ならなおさらなのである。
"格安自転車を使うことで失われる3つの感覚:松浦晋也「人と技術と情報の界面を探る」
僕はランドナーちゃん!
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Source: cycleboredomBill Walton demonstrating his shouldering technique whilst a full-size Lars van der Haar rides between his legs.